心の疲労はゆっくりと進行し、なかなか自覚できない
陸上自衛隊のコンバットストレス教官であった私は、日々の隊員のメンタルトレーニングや、事故や災害などの悲惨な場面に遭遇した際の心理的ケアに携わってきました。その経験からわかったのが、人間の心理的な限界です。
日常とは異なる環境で緊張を強いられる場合には3カ月、普段の環境でもストレスが高い状況が続けば1年もすると精神的な限界がきます。本来なら限界を迎える前に休息を取らねばなりません。自衛隊でもそのように指導してきました。
しかし、現代社会では、それができずに心を壊してしまう人が数多くいると感じます。いったいなぜ、精神を病んでしまうほど限界を超えて働き続けるのか。その大きな理由は、心の疲労がなかなか自覚できないことにあります。
そもそも人がなぜ疲労を感じるかというと、エネルギーの使い過ぎによる活動停止を防ぐためです。身体であれば、疲労感を覚えてもかまわず酷使しているとすぐに筋肉に力が入らなくなり、動けなくなります。いわば強制的に活動のスイッチが切られるわけです。
しかし、心は疲弊してもすぐに痛みや痙攣などが出るわけではありません。加えて心の疲労は、肉体に比べゆっくりと進行していきますから、なかなか気づけない人が多いのです。
無理に自分を鼓舞すると、やがて限界を迎える
ただし、心の疲労にも警告ランプがないわけではありません。例えば、朝から理由もなく「疲れた」「動きたくない」「やる気がでない」と思うその感覚は、実は警告ランプです。
多くの日本人は、そのサインを無視しがちです。「同僚や部下ががんばって働いているのに、自分だけ怠けるわけにはいかない」「気合いが足りないから、やる気が出ないのだ」。そんな風に理由をつけて会社へと向かった経験は、きっと誰しもあるでしょう。
そうして精神論で自分の心を無理にでも鼓舞し、会社にたどり着きさえすれば、身体は交戦モードになって脳にアドレナリンが放出され、たしかに一時は疲労感が忘れられるでしょう。しかしそれは、いわば心を麻痺させて疲労をごまかしている状態に他なりません。1年も続けば、疲労の蓄積によってついに心が限界を迎え、うつ病の発症など異常をきたしてしまう可能性があります。
肉体の疲労なら数日休めば筋肉は回復していきますが、心は一度壊れてしまえば簡単には元通りになりません。ですから、本来なら心の状態にはつねに注意を払い、警告ランプを見逃さず、定期的に休息をとる必要があります。
そのためにも、明確な原因もないのに気持ちにネガティブな変化が見られたなら「心に疲れがたまっているのかも……」と疑ってかかることが大切です。
心に不調が出た隊員に、私が与えた指示
心の休息というと、「リフレッシュ」や「ストレス発散」と結びつけて考え、休日には仕事を忘れてレジャーやスポーツに勤しむような人がいます。
実はこうした行為は、基本的には休息にはつながりません。それどころか睡眠時間を削ってでも遊びに出かけているような場合、結果としてさらに心の疲労が蓄積されてしまうおそれすらあります。
リフレッシュやストレス発散をすると、たしかにその瞬間は、すっきりした感覚になるかもしれません。しかしそれは、眠いときにミントガムやコーヒーを飲んで無理に目を覚まそうとするのと同じで、実際に精神疲労がすっきりと消えるわけではありません。たとえ海外旅行に出かけても、お酒を飲んでカラオケに行っても、それで心の疲れは取れないのです。
では、どのように休息をとるのが正しいのか。
自衛隊では、現場で心に不調が出た場合、その隊員をすぐに前線から離れさせます。そして3日間、ひたすら寝ているように指示を与えます。するとほとんどの隊員は、心が回復し、再び現場に復帰していくのです。
実はこれこそが、「休息の基本」です。精神的な疲労に対しては、「とにかく寝る」というのがもっともシンプルかつ効果的な回復法なのです。
もし心が疲れていると感じたなら、とりあえず9時間以上の睡眠を3日間続けてとってみてください。「9時間も眠れない」というなら、いつもの睡眠時間にプラス1時間加えるだけでもかまいません。それだけで警告ランプがいつの間にか消え、再び気力がわいてくるのが実感できるはずです。

お話を聞いたのは●下園壮太さん
しもぞの・そうた/NPO法人メンタルレスキュー協会理事長、同シニアインストラクター、元・陸上自衛隊衛生学校心理教官。1982年に陸上自衛隊入隊。陸上自衛隊初の心理幹部として多くのカウンセリングを手がける。現場で得た知見をもとに自身で体系化した理論を用いて、うつや自殺予防、メンタルトレーニングなどの領域で指導を行う。2015年に定年退官後は、テレビやラジオ、新聞などのメディアへの出演や各地での講演活動を精力的に行っている。著書に『自衛隊メンタル教官が教える 心の疲れをとる技術』(朝日新書)、『がんばらない仕組み』(三笠書房)ほか多数。
https://www.yayoinokokoro.net/