コロナ禍の中、イギリスから名画がやってきた「奇跡の展覧会」

2020年に開館10周年を迎えた三菱一号館美術館では、ヨーロッパ絵画の名作を数多く収蔵し、紹介してきた。2021年2月20日からはイギリスでターナーと共に近代風景画を確立したコンスタブルの展覧会を開いている。ロンドン・テート美術館収蔵の作品を中心に、67点のコンスタブル作品を展示。昨年以来、コロナ禍の影響でヨーロッパ、アメリカの美術館から出品される企画展が中止になる中、このコンスタブル展は予定どおりの開催となった。主任学芸員の杉山菜穂子さんはこう語る。
「この展覧会ではテート美術館が全面的に協力してくださいました。ロンドンはロックダウンされ、美術館の職員も出勤できていない状態だと聞いて、心配していたのですが、テート側は一貫して『大丈夫、貸し出します』という姿勢でいてくださって、メールなどで相談をしながら準備を進め、このたびイギリスから無事にコンスタブルの名画たちがやってきました。私たち、美術館スタッフの間では『奇跡の展覧会だ』と話しています」
印象派の技法を先取り!? 屋外での制作で、新しい風景画を確立

コンスタブル(1776年~1837年)は、イギリス東部のサフォーク州で生まれ育ち、23歳からロンドンのロイヤル・アカデミー(王立芸術院)の付属美術学校で絵を学ぶ。当時、ニーズのあった肖像画などを描いて生計を立てながらも、風景画にこだわって描き続けた。晩年は認められ、52歳でロイヤル・アカデミー正会員に。その絵は現在、テート美術館やロンドン・ナショナル・ギャラリーに収められている。
「コンスタブルの名前と代表的な作品はイギリス人なら誰もが知るところですが、同年代の画家ターナーに比べると、日本ではあまり知られていませんでした。近年、イギリスの美術が再評価されている中で、ターナーの他にもすごい画家がいたと着目されたのはすごくいいことだと思います」(杉山さん)
18世紀までの宗教的、神話的な風景画をよしとせず、写実的な風景を描こうとしたコンスタブル。印象派の画家たちに先駆けて屋外で制作を行い、自然の光や空気といった捉えにくいものを油絵で表現しようとした。
「コンスタブルはスケッチや習作だけでなく、絵の完成までを屋外で行ったところが先進的でした。モネやルノワールら、印象派の画家が活動したのは19世紀後半なので、それに比べるとかなり早い時期に、白い絵の具で光を表現するなど、彼らの絵を先取りするような表現をしています。雲を描くにしても、気象学を勉強して描き、そうした科学的な姿勢も印象派に先んじていました」(杉山さん)
コンスタブルvsターナーのライバル対決が東京で再現!
当時、風景画は歴史画や肖像画より格下と見られていたが、ターナーとコンスタブルという2人の偉大な画家が風景画の人気と評価を高めた。ただ、2人は真逆のタイプで、ターナーが外国に出かけてヨーロッパ各地の風景を描いたのに対し、コンスタブルは一生イングランドから出ずに愛着のある自分の家の周りなどを描いていた。
「本展覧会では、1832年にロイヤル・アカデミー展で隣に並べられた2人の作品を展示し、当時を再現しています。この『コンスタブル対ターナー』ともいえる展示が実現するのは、ロンドン以外では初めてのことで、とても貴重な機会だと思います」(杉山さん)

(写真右)ジョン・コンスタブル「ウォータールー橋の開通式(ホワイトホールの階段、1817年6月18日)」1832年発表、油彩/カンヴァス、130.8×218.0 cm、テート美術館蔵
コンスタブルの絵「ウォータールー橋の開通式(ホワイトホールの階段、1817年6月18日)」は横幅2メートルを超える大作で、ロンドンで橋が開通した時点から15年の年月をかけて完成させたもの。
「赤色などの暖色を使い、きらめくような川の水面の描写もとても華やかで、目を引きます。この絵を見たターナーは、自分の絵は寒色系でサイズも小さいので目立たないと感じたのでしょう。最後の仕上げの日、海面に赤いブイを描き込みました。コンスタブルがターナーもうならせるぐらいの技量を発揮していたことを物語るエピソードです。コンスタブルもターナーが加筆した箇所を見て『ターナーは銃をぶっ放していったよ』と言ったそうで、2人は良きライバル関係にありました」(杉山さん)

私生活も、生涯独身を通したターナーとは対照的に、コンスタブルは幼なじみの女性と結婚し、子供にも恵まれ、円満な家庭を築いた。
「妻マライアの肖像画は結婚直前に描き、遠くに行くときも持参して朝晩眺めていたそうです。マライアや子供たちがきれいな空気を吸えるようにと、夏の間は郊外のハムステッドなどに滞在し、そこでも絵を描いたので、家庭生活と作品が結びついている画家ともいえます。夫人は絵のとおりきれいな女性で、コンスタブル自身も容姿端麗で背も高く、恵まれたルックスでした。お父さんがお金持ちで何不自由なく育っている点も、ターナーとは違いますね。それゆえに野心があまりなく、遅咲きだったのかもしれません」(杉山さん)
コンスタブルの原点は、父親の製粉所がある故郷を描いた絵


1 コンスタブル家の製粉所
2 馬に乗り船を曳く少年。コンスタブルの少年時代を象徴!?
3 これから船が下を通過する橋の脚
4 平底荷船を橋の下に通すため、けん引していたロープを外す少年
5 馬が製粉所から曳いてきた平底荷船
6 もう一艘の船
7 馬と少年はこの位置に描かれていた。曳き具が草の上に残る
8 地面にJohn Constableのだまし絵的なサイン
9 畑仕事をする人。手前には鳥の姿も
10 放牧中の牛の群れ
11 樹木の表現に注目。多彩な緑のグラデーションがみごと
12 雲も光の当たる部分と影の部分が描き分けられている
代表作のひとつ、「フラットフォードの製粉所(航行可能な川の情景)」には、コンスタブルの父親が経営していた小麦の製粉所周辺の光景が詩情豊か、かつ生き生きとリアルに描かれている。
「近年の研究によって、コンスタブルは屋外にイーゼルを持ち出し、そこにガラス板を置き実際の風景を転写していたことが判明しました。今回、そうして透写した習作も展示しています。その手法によって、かなり写実的な、ありのままの自然を絵にしているので、絵の前に立つと、まるで自分が風景の中に入っていくような感覚になります。ぜひこの機会に実物の絵を見ていただきたいですね」(杉山さん)
製粉所から貨物を運ぶ船が運河を通り川に出ていく様子や地面に隠された画家のサインなど、細部までチェックしたい作品だ。「コンスタブルが遺した手紙には『すべてが故郷の川につながっていて、それが私を画家にしてくれた』とあります。この絵に描かれた場所は、彼の創作の原点であるといえますね」と杉山さん。コンスタブルの創造の源となった古き良きイギリスの風景を200年後の今、じっくりと味わってみよう。


美術館内にあるミュージアムカフェ・バー「Café 1894」では、コンスタブル展の会期中限定で、ランチ「コンスタブルの風景」(11:00~14:00)2420円、デザート「虹〈ピクチャレスク〉」(14:00~17:00)1000円を楽しむことができる


●美術館情報
三菱一号館美術館
〒100-0005 東京都千代田区丸の内2-6-2
10:00~18:00(入館は閉館時間の30分前まで)
※夜間開館は展覧会サイトでご確認ください。
月曜休館(3月29日、4月26日、5月3日、5月24日は開館)
※臨時の開館・休館の場合あり
※現在、会員優待は休止しております。あらかじめご了承ください
一般1900円、高校・大学生1000円、中学生以下無料
展覧会サイト https://mimt.jp/

●お話を聞いた方
三菱一号館美術館
主任学芸員
杉山菜穂子さん
1980年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科美術史学博士課程単位取得満期退学。2006年より三菱一号館美術館学芸員。専門は19世紀フランス美術。
取材・文=小田 慶子 撮影=市来朋久 ※参考文献「アート・ライブラリ カンスタブル」(ジョン・サンダーランド著/西村書店)