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為末大さんインタビュー「僕が本を読む理由」

シドニー・アテネ・北京と3大会連続でオリンピックに出場した為末 大さん。陸上競技者として記録した輝かしい成績の裏には、読書によって培われた“ある力”があった。読書好きになったきっかけから、長年育んできた読書術まで、為末さんならではの本を読む理由を聞いた。

読書の最高の特徴は、解釈の余地が広がるところ

もし僕が本に出会っていなかったら、世の中がこんなに面白いとは思えなかったかもしれません。例えば、『金閣寺』の中で三島由紀夫が書いた「金閣寺が燃えていた」という言葉は、「どういうふうに燃えていたんだろう」と想像したり、「なぜ燃やしたんだろう」と主人公の心を読んだりと、焦点をいろいろ変えられるけれど、金閣寺が燃えている写真を出された途端、読み手に残されていた余白がなくなってしまう。読書の最高の特徴というのは、解釈の余地が大きいところであって、僕は本に出会ったことであらゆるものの見え方が広がりました。

また、読書によって「言語」の発達も明らかに感じます。我が家には小学2年生の子どもがいるんですが、0歳から7歳まで毎日寝る前に“読み聞かせ”をしていたので、今では大人びた言葉を使うようになりました(笑)。

僕も小さい頃に読んだ中で、子どもにも読み聞かせているのが『おおきなきがほしい』という絵本です。かおるという子どもが、「家に大きな木があったらいいのにな、お母さん」というところから、自分の中の想像を話していきます。木に登るためにはハシゴがあって、少しのぼるとハシゴの途中で洞穴を見つけて、そこには小さな部屋があって、キッチンがあったのでホットケーキを焼いて……と聞き手の想像をかき立てます。その本の冒頭で「お母さんは手を動かしながらこたえました。外は本当にいい天気です」という一文が出てくる。語り手が急に外の天気のことを話す描写が、子どもながらに、すごく大人の表現に感じて、学校で読む本にはない小説的な一文がずっと頭に残っています。

現役時代に読書で培った“自分を観察する力”

そんな読書体験の影響を自分でも強く感じたのが競技者時代です。私は読書体験があったので、自分の気持ちや自分の状態を言葉で説明することができました。例えば、先生に「辛いんです」と言う場面があったとして、どう辛いのか、心なのか体なのか、心ならば何が辛いのか、表現方法が少ないと「辛い」としか言えません。表現方法が乏しいと相手に伝わらないだけでなく、自分の状態を把握できません。体の不調は見た目や数値でわかりますが、自分の心の状態は目に見えないものなので、言語化して伝えられたのはとても便利でした。

競技中に、頭の中では「諦めちゃ駄目」と鼓舞する自分がいても、心の中では「このペースではもたないんじゃないか」と思っている自分もいる。人間はたいてい矛盾や葛藤を抱えていると思うんですが、そんな自分をマネージしていく上で一番大切なのは、自分の心や体がどんな状態かを自分で把握することだと考えています。

僕は現役時代、コーチをつけなかったのですが、自分の状態を見極めることが大事だと感じた一つの出来事があります。陸上競技は、試合中に自分で何かを決めなくてはならない「選択」ってほとんどないのですが、その前の準備が大事な分かれ目になることが多いんです。例えば、試合前に負荷の強い練習をしてピークをつくることで調子を上げる“ピーキング”という技術があります。2004年のアテネオリンピックの11日前に250mを2本走るという計画をしていたのですが、なんとなくその日の朝、疲れている感じがしました。メニュー通りに2本やるのか、1本にするか、やらないのか、どの選択をするかによってメダルが取れるかどうかが決まります。自分の状態を無視して計画通りやってしまい、準決勝で敗退しました。自分を知ることが大事だと強く学んだ出来事です。

「読む」と「書く」を合わせることで、自己観察能力が高まる

読書好きになった原体験は、おそらく幼少期に母が絵本などを“読み聞かせ”てくれたおかげだと思うのですが、小学校で「読書部」に所属していたことも大きく影響しています。小学校には陸上部がなかったので読書部に入ったのですが、ここでは本を読むだけでなく、感想文を書くまでが1セット。

読書は、本の中のいろいろな登場人物の心の描写が出てくるので、相手を観察する能力を身につけられます。登場人物に自分を投影し、こういうときには自分だったらどうしていただろうと“自分ごと”にすることで、相手の気持ちを推測できるようになり、こういう行動をしているから、自分はあの登場人物の心理状態に近いのだと、理解できてくるのだと思います。

さらに「読書部」で学んだ「書く」という行為で僕が面白いと感じていたのは、自分が書いているうちに、気づいていなかった自分の感情がどんどん出てくることです。自分の頭の中を理解していく作業でもあり、書いてみて初めて「あれ、(自分は)こういうことを思っていたんだ」と、逆に気が付くこともあります。人間の思考は無意識の世界でも行われています。先ほどの感情を言葉にすることで抜けていくというのも同じですが、自分がどう感じているかは言葉にしてみるまでは自分で気がついていないことも多いんですね。だから、書いてみて初めて自分の気持ちに気がつくということが起きます。

この我々が見たり聞いたりする世界がいかにあやふやなのかを物語っている本が、『脳のなかの幽霊』(V・S・ラマチャンドラン、サンドラ・ブレイクスリー共著、角川文庫)です。様々な脳に障害を抱える患者と向き合ってきた神経科学者が、人間の脳の中でどういうことが起きているのかを奇妙な症例付きで解説しているのですが、これがすごく興味深い。脳の中でも、すごく親しい人を見たときだけ湧き上がる情動をつかさどる機能に障害を抱えた人が、友達のことは認識できるのに、お父さんのことは「お父さんに似た人」、お母さんのことも「お母さんに似た人」と言うんです。同じような症例をまとめた本『妻を帽子とまちがえた男』(オリヴァー・サックス著、早川書房)も、本人の眼で見えていることと、意識・認識することはまた別の話だとわかるエピソードが多数出てきます。

ですから、想像力を高めてくれる「読書」と、無意識の感情も引き出せる「書く」という行為をセットに行うことで、より自分を観察する能力は高まってくるのではないかと考えています。

撮影/小禄慎一郎 構成/藤井存希

(2023年1月31日掲載)

お話を聞いたのは●為末 大さん

お話を聞いたのは●為末 大さん ためすえ・だい/1978年、広島県生まれ。陸上競技選手としてオリンピックに2000年から3大会(シドニー・アテネ・北京)連続出場。400mハードル日本記録保持者。現在は執筆活動、会社経営に取り組む。『諦める力』(プレジデント社)や『為末メソッド 自分をコントロールする100の技術』(日本図書センター)など著書は20冊以上。2023年春に新刊『熟達論(仮)』を新潮社より上梓予定。