約90年前から変わらぬ佇まい

午前10時20分。開店10分前に正面入口前に着いた。平日にも関わらず、その日も開店を待つ人の列ができていた。
我々は列から少し離れて、建物の外観を見上げていた。正面入口の上には、「丸に髙」のロゴがあしらわれた紅白の旗が翻っている。赤いテントがショーウィンドウを強い日差しから守る。日本橋の中央通りを通るたびに何度も目にした光景だ。風になびく旗や赤い庇を見るたびに、日本橋髙島屋S.C.本館にはひときわ親しみやすさがあるなあ、と思っていた。
開店時刻とともに、コンシェルジュの岸和彦さんと合流した。岸さんが今回の案内役である。
「髙島屋の“髙”の字は“はしごだか”で、はしごを一つ一つ上って業界のトップを目指す、という思いが込められています。また、“髙”は左右シンメトリーなので、表から見ても裏から見ても同じ。表も裏もなし=“おもてなし”という、創業以来の理念が込められているのです」
髙島屋が東京に進出したのは、1900(明治33)年のこと。現在の銀座2丁目付近に開店した。その後、関東大震災を経て1933(昭和8)年に現在の場所へ竣工。創建時の建物名称は「日本生命館」で、日本生命から建物を借り受けて百貨店事業を展開した。
日本橋を南北に走る中央通りに面したファサードは、ほぼ当時のままだという。中央通りを挟んで本館正面口外観を眺めながら「ちょうど90年前にタイムスリップしたかのように、創建当初の趣を感じていただくことができます。まさに日本橋髙島屋S.C.館の“顔”でございます」と岸さんが語った。
パッと見は、ヨーロッパの古都に見られるような重厚な石造りの歴史様式の建築だ。建物は上から3つのパートに分かれていて、8階部分はテラコッタ、3階から7階はタイル貼り、1階から2階は花崗岩が使われている。こうした三層構造は、西洋建築によく見られるものだという。
「細部をよく見ていただくと、随所に和の意匠が施されています」
なるほど、屋上の屋根の下には和風建築の屋根を支える“垂木(たるき)”の意匠があり、中央のバルコニーには名橋の欄干に見られる擬宝珠(ぎぼし)のようなデザインが施されている。バルコニーを支えるように蛙が股を広げたような“蛙股(かえるまた)”や、“肘木(ひじき)”など、あちこちに日本の寺院建築に見られる意匠がちりばめられているのだった。
「東洋趣味ヲ基調トスル現代建築」
日本生命館(髙島屋東京日本橋店)建設にあたって、公募による設計図案競技時に求められた様式は「東洋趣味ヲ基調トスル現代建築」。このユニークなコンセプトに応え、コンペで一等を勝ち取ったのが高橋貞太郎だ。
高橋貞太郎は、大正から昭和初期にかけて活躍した建築家で、上高地帝国ホテル、伊東の川奈ホテル、また学士会館や前田公爵邸(洋館)などを手掛けている。豪奢な邸宅やホテルの設計に定評があった。
西洋的な「現代建築」を「東洋趣味(オリエンタリズム)」を基調として構築する。高橋が手掛けた日本生命館、現在の日本橋髙島屋S.C.本館は、これをまさに体現するものだった。


正面玄関から入店すると、2階まで吹き抜けのエントランスホールに迎えられる。柱や階段の腰壁にはイタリア産の大理石がふんだんに使われており、創建時には高橋貞太郎がデザインした3つのシャンデリアが燦然と輝いていたという。戦時中の金属類回収令により、シャンデリアなどが供出され、戦後に、増築部分を設計した村野藤吾によるデザインのシャンデリアに生まれ変わった。天井は格式の高い和風建築に見られる格天井(ごうてんじょう)、釘を使わない鉄筋コンクリート造りであるにも関わらず、大理石のいたるところに釘隠し風の飾りが付けられているなど、和の要素も多い。贅を凝らした空間に来た誰しもが、“百貨店でのショッピング”というハレを意識したに違いない。
豪奢な空間に感嘆の声を挙げていた我々を見て、仕事中だったスタッフの女性が目を細めた。それに気づいた私が照れ隠しもあって「こんな素敵な空間で毎日お仕事できるなんて、うらやましいです」と声を掛けると、間髪を入れず「はい、誇らしいです」と満面の笑顔が返ってきた。



「東京で暑いところ、髙島屋を出たところ」

高橋貞太郎が手掛けたこの建物は、1933(昭和8)年という時代に全館冷暖房完備だったというから驚く。
「“東京で暑いところ、髙島屋を出たところ”という宣伝コピーが一世を風靡したそうです」と岸さんが教えてくれた。
「そういえば、正面口入口脇にイタリア産石灰石で作られた水飲み場跡があるのですが、お気づきになりましたか」と改めて案内されて表に出た。
ルネサンス式のアーチ型の下部に、蓮花をモチーフとした台があり、今は蓋がなされているが、当時は蛇口があって水が出たという。
「近所に小学校があったのですが、休み時間になると児童たちがここに水を飲みにやってきたそうです」
学校の水もおいしいけれど、髙島屋の水のほうが冷たくてよりおいしかったと言っていたのだとか。実に微笑ましいエピソードだ。

お話を聞いたのは●岸 和彦さん
きし・かずひこ●コンシェルジュ、顧客サービス担当部長。1992年入社、日本橋店(当時は東京店)食料品部配属。1998年から約4年間、ニューヨーク駐在員事務所勤務。その後、日本橋店・柏店を経て、2019年から現在まで日本橋店総務部顧客グループでコンシェルジュとして勤務。重要文化財の店舗が、保存・活用されている価値を重要文化財見学ツアーなどでご案内している。
『日本橋髙島屋S.C.本館』
東京都中央区日本橋2-4-1
TEL:03-3211-4111(代表)
営業時間:10時30分~19時30分(本館)
※毎月第2木曜午前11時から日本橋髙島屋重要文化財見学ツアーを開催。
無料、所要時間約1時間(要予約)。
予約は開催月の前月1日(1月は初営業日)の午前10時30分より受付開始(予約日の3日前19時30分まで)。
1回最大3名まで予約可能(定員数に達し次第、予約受付終了)。
予約受付サイト:https://www.takashimaya.co.jp/nihombashi/departmentstore/cultural_propertie/index.html
取材・文●戸羽 昭子 撮影●尾嶝 太(2024年9月掲載)
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