ライフデザイン

今夜、夫婦でバーへ。東京・湯島「EST!」に学ぶ、バーの楽しみ方

外食や外飲み。やっと日常を取り戻してきた今、お酒と向き合い、つくりこまれた空間とその空気感を楽しめるバーを訪ねてみるのはいかがだろうか。それも夫婦で。2023年、創業50年にして初の書籍『EST! カクテルブック』を出版した東京・湯島の名バー「EST!」。カクテルブックの制作に携わり、バー巡りをライフワークとする筆者がときには夫婦で訪れるバーの楽しみを聞いた。

オーセンティックバーで知るバーの楽しみ

東京・湯島の繁華な大通りから路地裏に入ると、スナックや焼鳥店など小体な店が連なる小路に、老舗の名バー「EST!」の看板が灯る。1973年創業、2023年で50年を迎えるバーである。
 
日本の正統派のオーセンティックバー、あるいはウイスキーに特化したモルトバー、立ち飲みスタイルのスタンディングバー、革新的な技術を取り入れたカクテルを提供するミクソロジーバー。
 
今やバーのスタイルは多様だが、夫婦で訪れるなら「EST!」のような温かみのある雰囲気をたたえ、ゆっくり会話ができる往年のオーセンティックバーがよいのではないだろうか。
   
なにより、店先の看板はこんなイタリアの昔話にちなんでいる。酒好きの司祭が旅をしたときのこと、先発隊の従者によい酒のある宿屋の壁に「EST!」と印をつけるように命じた。従者はローマ近郊の宿の酒が格別だったので「EST!」を1つだけではな3つも書き残したという。ここ「EST!」の看板には「EST!」が3つ。つまり店名は、ここには素晴らしい酒が「ある!」ことを意味しているのだ。

東京・湯島の名バー「EST!」の外観。1973年から50年に渡って明かりを灯す。
「EST!」のギムレット。マスター・渡辺昭男さんが独立前に勤めていたバーにて、作家・三島由紀夫も味わったレシピを今に守る。

レストランや居酒屋にはない、バーの魅力

バーの楽しみはたくさんある。
たとえば……

■カクテルの知識は不要。バーテンダーに好みを伝えればいい

アルコールが低めのロングカクテルか、しっかりアルコールを感じられるショートカクテルか。甘口がいいかドライがいいか。好きなスピリッツはジンかラムかウォッカか。あるいは、使ってほしいスピリッツやリキュールがあるか。今どんなものを飲みたい気分か。
そんな簡単な会話ができれば、カクテル名を知らなくてもなんら問題ない。もちろん、以前「ギムレットを飲んでおいしかった」なども、好みのカクテルにたどり着く手掛かりになる。

■カクテルで季節を味わう

バーには季節の味がある。初夏から秋頃のミントの生育が勢いを増す季節には、ミントをふんだんに使った“モヒート”や“ミントジュレップ”を。晩秋から冬のザクロが出回る頃には、ザクロを搾ったジュースとリンゴのブランデー・カルヴァドスつくる“ジャックローズ”を。凍てつくような寒さの冬の晩には、温かいコーヒーとウイスキーの“アイリッシュコーヒー”を。時季のフルーツを使って即興でつくる名前のないカクテルだっていいのだ。

自家栽培のミントをふんだんに使う「EST!」のモヒート。
「EST!」で使うジュースは果実を搾ったフレッシュジュースばかり。

■バーのしつらえと空気も味わう

バーの扉はたいてい重く感じられるもの。だが、その分、店内に入ったときには現実からちょっと離れた世界に足を踏み入れた気分になれる。棚や壁の造りや、飾り物のモチーフ、照明。カクテルをつくるさまざまなツールや提供するグラス。それぞれに店主であるバーテンダーの想いが込められている。また、訪れる時間帯や居合わせるお客によって、刻々と雰囲気が変わるのもおもしろいところ。

■カクテルはオーダーメード。あなたのための一杯である

良質なバーであれば、大抵はカクテルに使うレモンやライム、オレンジ、グレープフルーツのジュースなどは果実を搾ったフレッシュジュースを用いる。好きな果物からカクテルをリクエストしてもいいし、スタンダードカクテルでも「アルコールを弱めに」「甘さを控えめに」といったオーダーをしてもいい。カクテルは即興性があり、目の前のバーテンダーがあなたのためにつくるもの。カスタマイズも可能だ。

バーテンダーはいい時間をつくる立役者

ひとりの時間を楽しむイメージが強いバーだが、「EST!」で、休養中の父に代わり、店を守っている次男・渡辺宗憲さんによると、夫婦で来店するお客は少なくないという。

「ご夫婦でお食事を楽しまれた後、家に帰る前に寄っていただくというケースが多いですね。飲食店の中よりゆっくり話せたり、落ち着いた時間を共有できるのだと思います。お酒を介して話すことで、普段話せないことも話せるのかもしれません」

休養中の父であるマスターに代わり、店を守る次男・渡辺宗憲さん。

宗憲さんによると、夫が「EST!」に通っていて、妻を伴ってやってくることが多く、年代は20代後半の若い夫婦から年配の夫婦までと幅広いという。記念日やハレの食事の機会に寄ることも多く、いやがおうにも現実に引き戻される自宅に着く前にワンクッション置くには、バーはとてもいい空間である。

さらに、夫婦のみならず「親子でいらっしゃることもよくあります」と宗憲さん。「息子や娘の初めてのバーデビューは、自分の知っている安心できるバーで、と認識していただいているのかもしれません。これも、マスターが長くお客様と信頼関係を築いてきたからですね。僕たちバーテンダーは、しゃべりすぎず、寡黙すぎず。いい時間をつくる立役者になるよう意識しています」

よきバーで、お酒が紡ぐよき時間を共有する。日々の暮らしの合間のささやかな時間が、よい関係を続けるアクセントになるはずだ。


EST!
東京都文京区湯島3丁目45-3 小林市ビル1F
03-3831-0403
17:00~24:00 日曜休
https://est-1973.com/

(2023年8月29日掲載)

取材・文/沼 由美子 撮影/渡部健五

『EST! カクテルブック』(プレジデント社)
巨星として輝き続ける名バーのカクテルレシピと物語。マスター・渡辺昭男さんの代表的カクテルやオリジナルカクテルのレシピを記しながら、そこに込めた意図と物語をたどる。ゆかりの深い「木村硝子店」デザイナー、「目白田中屋」店主、「バー 街路」バーテンダーが「EST!」を語るインタビューと、バーテンダーの二人の息子との親子鼎談を収録。定価3850円。

著者/渡辺昭男、渡辺憲賢、渡辺宗憲